ちっちゃきもの

 通勤に使っている携帯プレイヤーは、MPIOという韓国メーカーのものである。たしか、amazonで4000円ちょっとだった。それまで僕はiTunesバリバリのご時世にも関わらず、SONYのCDウォークマンで、帰り道用のアルバムを別に持って行ってた記憶がある。なかなかマメな男だ。
 しかし、CDはなかなか気を遣う。電車内でCDを交換するときが特にそう。CDを他人に見られるということは、趣味を見られてしまうということであり、たまに、でっかく「ハロプロベスト」と書かれたCD-Rを持って行ってた時などは、なかなかキツいものがある。「モー娘。ベスト」ならまだ多少マシだが(3〜4年前の話なので、今よりは良い時代であったことを考慮願いたい。もちろん、最高の時を知っている身としては谷であることは間違いないのだが、それも今思うと、底ではなかった。いや、今だって底ではないのかもしれない)。
 話が逸れてしまったが、MPIOが1ギガしかなくて、いつもKaleidoscopio(現Kaleido)の「Tem Que Valer」ばかり聴いている、ということが書きたかったのだ。とにかく、いつ、どんなシチュエーションで聴いてもハッピーになれる。老若男女マイナス老な人ならば、かなりの割合で「あぁ、いいね」と言うと思う。
 セカンドアルバム(かどうか正確にはわからないが)の「Kaleido」になると、メロディがかなり日本的になっている。ポルトガル語で日本っぽいメロディを聴くと新鮮でハッとする。
 東浩紀北田暁大「東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム」を読了。ここ一週間くらい、電車内ではこれを読んでいた。
 今日、帰りの途中で読み終わったので、控えていた文庫にスイッチすると、その軽さ、扱いやすさに驚く。文章がメインの書籍であれば、すべからく文庫で問題ないと思われるが、学問系はあのサイズでないと、雰囲気が出ないのかもしれない。ま、内容が難しければ難しいほど、家で読むはずだから、それでいいのか。
 暖かくなってきたからか、家の向かいにあるモツ焼き屋さんから嬌声が聞こえてくる。良い環境だ。影響を受けているわけではないわけはないが、家で静かにグレープフルーツサワーを飲んでいる。境月をベースに、ちゃんとハイサワーで割っているので、立ち飲み屋と同じ味である。