逃避するほどの現実はない


「Grand Gallery Presents SURF TIME」というコンピを1ヶ月くらい前にレンタルして聴いた。初期ビーチボーイズや、いわゆる加山雄三サウンドが聴きたい気分だったのだ。しかし、件のCDに、そんなサウンドは一曲も一音も入っていなかった。現代の「サーフミュージック」はなんと(と、大げさに書くほどのことでもないが)、アコースティックで、ややけだるいサウンドのことを指すらしい。簡単に言ってしまうと、ただのフォークである。最初は何が「サーフ」なのか、さっぱりわからなかった。
 普段は絶対に読まないライナーノーツ(書籍の帯と同じくらいいらない)を紐解くと、現代の「サーフミュージック」とは、「サーファーが好む音楽」と「サーファーが奏でる音楽」と2種類の意味があることが分かった。
 これはなかなか興味深い。思想と結びつくことは、音楽ではよくある。同じように、ライフスタイルと結びつくこともある。ただ、こんな風に、ある特定の『スポーツ」(「趣味」でもよいが)と密接な音楽、かつ、「●●ミュージック」という呼び名がポピュラーな例は珍しい。
「ベースボールミュージック」、「サッカーミュージック」、「ゴルフミュージック」、……ないない。なぜサーフィンだけがそんな特別なのだろう。音楽との親和性が高いのはなぜだ。
「サーフミュージック」が「サーファーが好む音楽」と定義したら、何にだって変化できる。ジャンルの防衛機構として、これ以上高いものはない。
 パッと思いつくところだと、「カフェミュージック」的なものと似ているのかもしれない。しかし、「カフェで働く人が奏でる音楽」という意味はない。
 今聴いているSim Redmond Bandも、とても良い。アルコールを飲みながらパソコンの前で聴くのにちょうど良い。全然サーフな環境じゃないけど。